よっしゃーっ、この世界があってよかったぁと思えるくらい私はあの日をきっかけにトラウマ、借金地獄の悪夢障害を克服できました。

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音声が聞こえないときはこちら(前編の音声)

ニャタリーニャタリー

音量に注意してね!

にゃたりんこにゃたりんこ

聞きながら読んでみてね!

きっと読み進めていくうちに嫌な気分になることでしょう。

こんな話聞きたくないわ!

と思われることもあるかもしれません。

そして、今回の記事は「私の過去の話」だからたぶんつまらないものとなるでしょう。

だけど、

私のすべてをさらけ出します。

これまで私がなぜ「死にたい」と思ったのか、
どうしてそれを「思い止まれた」のか、
そして、なぜ「いま幸せ」だと心の底から思えてるのか

そのすべてを・・・

私は4人兄弟の末っ子として
長野県で生まれました。

1984年11月生まれ、
血液型はB型です。

おばあちゃん子でした。
甘えられて育ったため、

  • 家族にも照れ笑いする極度の人見知り
  • 吃音がひどくて、「ど」と「ろ」、「ひ」と「し」が同じになって
  • 小学6年生まで学校で一言も話せない内気な性格…

だったのですが、
やがて、

・病気に対する不安が強くなって、典型的な「疾病恐怖症(心気症)」となり、
・生きてる意味が分からなくて死に対する「強迫神経症」になり
・過呼吸、めまい、吐き気などに襲われる「パニック障害」ばかり

の毎日が続くようになりました。

高校生になってからは、

・人間不信で完全孤立
・コッペパンとジュースばかりの生活
・授業中はずっと具合が悪くて机に伏せて終わるのを汗をかきながらじっと我慢してました。

また人混みが苦手で電車に乗れずに自転車通学してました。

大学生になってからは、

・いつもお金のことで頭がいっぱい
・起きる前から予期して不安になり怯える毎日
・繰り返される思考で恐怖のデジャビュ体験
・寝てる時、脳の中で「パン!」って破裂音がして発狂
・自己啓発セミナーに大金をつぎ込む毎日
・それでも不安で怖くて、息ができなくて
・自殺しようと家を出てたら
・歩けなくなって精神病院に3ヶ月入院して
・退院後も1年精神薬を処方してもらっていた

という過去があります。

もしかしたらあなたも1つくらいは当てはまるものがあるかもしれませんね。

そして、私が入院してから早7年近くが経とうとしてます。

今の私は、

・・・

ここからは、中編1の音声です(音量注意!)

音声が聞こえない場合はこちら(中編1の音声)

ニャタリーニャタリー

音量に注意してね!

にゃたりんこにゃたりんこ

よかったら聞いてみてね

・・・とその話の前に、なぜこんなにも不安を感じるようになったのか、その原因を7つお伝えしましょう。

それが、
1、怖い国語の先生の宿題をやるのを忘れたと気付きながら全校朝会に立ってしまったから
2、保健体育の授業で性教育のビデオをみてしまったから
3、おなじく保健体育の授業でエイズの恐ろしさを何度も何度も聞かされたから
4、あやしい商品(モテる香水)が届くのを、親にバレるのが怖かったから
5、自分の意に反しての学校に行くことになったから
6、お金を節約するためにジャンクフードしか食べてなかったから
7、本当に死ぬかと思うほどの高熱で死を意識したから

※保健体育の授業に関しては以前こちらにも書きましたが、トラウマになりました。

吐き気や不安感を改善するために、すぐできる1つの方法

というのが、高校生までのお話。

大学生になってからは、

8、ネットに架空請求ポップアップが出現したから
9、当時不治の病と散々聞かされたエイズではないかと怖くなったから
10、過呼吸とパニック発作がひどくて自律神経がボロボロだったから
11、分からない、が口癖になってしまったから
12、恋愛したくても未だ声をかけることすらままならなかったから
13、エイズ検査をしたら、陰性だったけど余計に不安が増したから
14、その結果、さらにパニック障害が強くなって生きていることがしんどくなったから

だから、人生を終わりにしようと思ったのが希死願望1回目のことでした。
校舎の屋上からと考えたけれど、

そうなる前にカウンセラーの先生(と保健室の先生)が両親に電話をしてくれて一命を取り留めました。

あのときカウンセラーの先生がいなかったら、私はいまこの世界にいなかったかもしれません。

だから今だから言いたい、助けてくれて本当にありがとう。って

そして、中編2の音声です(音量注意!)

この音声が聞こえない場合はこちら(中編2の音声)

ニャタリーニャタリー

音量に注意してね!

にゃたりんこにゃたりんこ

最後Siriの誤作動あったけど、気にしないでね

そして、どうにかこうにか大学を卒業しました。

その後、よく分からないままみんながそうであるように就職活動をして一般企業に入りました。

派遣会社の 製造業です。
機械設計やの商品開発してました。

その中では良いも悪いもいろいろありましたが、いま思うのは「決して悪くなかった」どころか良い会社だったなということです。

勤めていた当時は安月給だとか、もっと休みが欲しいと訴えたけれど、でも意外と楽しかったのかもしれません。

しかし、 当時の私はこうでした。

15、会社が嫌でたまらなかった
16、一生ここで勤めていくのが正しいのか疑問を持った
17、自立したいと思った、だから勉強した
18、やがて運良く熱中症になり退職できることに
19、専門学校でWEBの勉強をして
20、そして、ブログTHE FREEDOMというサイトを立ち上げました。

だけど、今だからいいます。

ブログを立ち上げた
当時の私はあまりに未熟でした。

自分では正しいと思って書いた記事も、いま読み直すとかなり事実と異なるところばかりで恥ずかしくもなります。(どんな記事かは過去の記事を読めばわかるでしょう。)

そして、
記事を書きながらもある先生のもとで勉強をしてきました。
そのときから私の中で何かが変わり始めました。

悪い方に・・・

21、その先生の食事法を信じて試した、けど、余計に体調が思わしくない
22、けど、それでも信じて続けていたらほとんど何も食べられないようになって
23、健康食しか食べられなくなりました。
24、その上、自己否定的観念を美徳とする教えを信じてやってたら
25、自分の存在がなにか分からなくなり不安障害が再発
26、しかも同時期に収入がゼロになる事態になりパニックがさらに加速
27、追い打ちをかけるように精神的に追い詰めることが重なり

そして、人生を終わりにしようと思った2回目となりました。

ただ今回は精神病院に「医療保護入院」という形で3ヶ月閉じ込めていただいたので大事に至りませんでした。

で、本当にお話したいのはここからになります。

ここからは、中編3の音声です(音量注意!)

この音声が聞こえない場合はこちら(中編3の音声)

ニャタリーニャタリー

音量に注意してね!

にゃたりんこにゃたりんこ

よかったら聞いてみてね

・・・

なぜ私はあれほど「生きることを止めよう」としたのに、

よっしゃーっ、
この世界があってよかったぁ

と思えるようになったのか?

なぜ、あれほどまでにこの世界が「檻のない刑務所」と思ってたのに、

な〜んだ!この世界ってなんでもできる自由な世界じゃん

と思えるようになったのか?

それは、

3ヶ月精神病院に閉じ込められたあとに大きな要因があります。

人生がボロボロで「もう生きていけない」と思ったのを救ってくれた「あの日のこと」をお話します。

まだまだ長いですがお付き合いくだされば幸いです。

それで、3ヶ月隔離された閉じ込められ精神病院の中で以下のような大きな変化がありました。

1、出された食事しかないのでこれまで信じてた「某先生の食事法」を強制的にやめることができた
2、その結果、某先生が言ってたことが一面的だったと気づけた
3、だから、私は完全に否定しました。「あの先生の言ってることは間違ってた」
4、否定して否定して否定し続けて、ようやく吹っ切れました。
5、また入院してる人との交流を通してそれまで私が思い込んでた世界が一面的だったと知りました
6、世の中にはもっと苦しんでいる人もいるのだと知りました。
7、そして、その中の一人の65歳くらいの見た目は紳士的で体格のいいおじさんに会いました。

それが私の人生を大きく変えてくれるものでした。
退院後もそのおじさんとの交流が続き、何度も家に招待してくれました。
美味しいものを御馳走してくれたこともありました。一切れ1000円もする高級牛肉も奢ってくれました。


そんなある日のこと、そのおじいさんが私に語ってくれたのは、人と触れ合う喜びでした。
人に感謝される生き方をして、自分も人に感謝をする
という話もそうですが、
ズバリ好きな人と触れ合うことの大切さでした。

だから私の記事には、
こんな記事があるわけですが、
ダメ男のわたしが幸せになれた10の理由

まぁ、その話はここでは生々しくなるのでおいておきます笑

そして思うんです。

なぜこんなにも日本人は病んでしまうのか。

それは真面目すぎるから、完璧主義だから、ルールに縛られすぎだから、そして海外に比べて「スキンシップが少ない」から、だから精神的に病んでしまう人が多いというのが私の持論で、実際そうなんだと思います。

そして、昔は許されても今は許されないこともたくさんあります。「セクハラ」と意図せず訴えられることもあります。
だから人間同士がスキンシップを図れない社会風潮もある日本、だからオススメしてるのが以前あげた「大木ハグ」なわけです。

大木ハグのうれしい効果。心がどうにも落ち着かないときは巨大な樹木を抱きしめよう

そしておかげでみるみる私の症状が良くなりました。「人生は苦しいことばかり楽しいことなんてひとつもない」って絶望してたのに、「こんなに楽しい世界があるのか」って、それだけでも生きてたいなって思えるようになったんです。

だから、あなたやあなたの大切な人(お子さんや恋人)が自殺を考えてしまうほどに苦しんでいるとしたら、言葉はいらないです。

ただそっとハグしてほしいんです。

背中をさすって大丈夫だよ安心していいからねと思いながらハグしてあげてほしいなって思います。それに勝る安心感はそうそうないからね。少なくとも私はそうでした。

そんな生活が退院後、1年ほど続きました。

このスキンシップを通して精神状態が改善してくなかで、これがいいかどうかはハッキリ言いません。
薬を飲むのを1日に少しずつ減らしていって気がついたら飲むのを忘れてしまうくらい精神状態がなんともなくなって、今に至るまで完全に薬に依存せずにいられるようになりました。

ただそれでも、私のなかで「たくさんの不安」があってどうしようもなくあって、そのことを思うといても立ってもいられなくなったんです。

それが、
1、朝起きられないから就職は難しい
2、というより、いまさら社会復帰なんてできるのだろうか
3、このままだとお金がなくなっていずれ孤独死かも
4、いや、その前に借金をして財産を国に没収されて1文無しのホームレスになるかも
5、いやだ、そんなの嫌だ!でも、仕事ができる気がしない

とお金に関する不安がいっぱいで、「借金地獄に陥る妄想」が膨らんで焦りと不安でまたパニックとまではいかないけれど苦しくて苦しくてどうにもならなくなりました。

だから、なんとかしてお金を稼げるようにならなくてはと思い通い始めたのが就職支援の「若者サポートセンター」でした。

当時の私は30歳を過ぎたくらいで問題なくそこで社会復帰のための訓練(朝活、掃除、料理、集団行動)を平日毎日のように通わせていただきました。
ボードゲームをしたり、山奥に合宿をしたりそれまで引きこもりに近かった私にとっては人と関わることの抵抗をなくす、最適の環境だったといまでも感謝しています。

ただそのサポートも社会情勢に従ってそれまでのゆるゆる楽しいルールからある程度きちっとしたものに変わってしまったのでいつまでもここにいられないと思い、たどり着いたのが「コワーキングスペース」という場所でした。

「コワーキングスペース」というのは、個人や法人が場所代を払って自由に使える作業場所のことでおそらくあなたの家の周りでも調べれば1つや2つあることでしょう。そこのコーディネーターさんがとても親切でまたスペース利用されるお客さんが個性豊かで楽しくて、なので月額会員という形で「コワーキングスペース」に通うようになったんです。

そのおかげで家に引きこもることがなく家の外にでるという規則正しい生活を送るようになれたんです。また人と話すことで口下手だった私もさすがに話すことが慣れたし、講座を開催したりするまでになることができました。

そして、後編(最後)の音声です(音量注意!)

こちらの音声が聞こえない場合はこちら(後編の音声)

ニャタリーニャタリー

音量に注意してね!

にゃたりんこにゃたりんこ

よかったら聞いてみてね

しかし、今だから正直にいいます。

まだ心のどこかに不安というか安心できないものがあって頭でわかっているけど、心が塞ぎ込んでつらい時がありました。それはきっと過去にあった大きなトラウマが原因でさきほども述べた借金をしてホームレスになって惨めな人生で終わるという悪夢が何度もかけめぐって止まらなかったからです。
私のトラウマというのは、

1、不治の病になって、抗がん剤を投与されて苦しみながら死ぬという思い込み
2、お金がなくなって持ち物を国に没収されて無一文になってしまうという幻想
3、自分を嫌いにならないと成長できないという繰り返された教え

などそんなことないとわかっているのに、連日のように頭のなかを悪夢妄想が巡ってました。これをどうにかして止めなければ、これから先もずっと悪夢(それも現実で起きながらにしてみる悪夢)に苦しむだろうと考えて、悪夢障害と戦いの日々が始まりました。

どんな悪夢をみたかというと、

1、自分のお葬式の様子を天井からみて家族が泣いてる悪夢
2、右腕がトウモロコシになったり、歯が抜け落ちる悪夢
3、テロがあってビルの屋上が爆発して降り注ぐ悪夢
4、大地震が起き、建物の床が抜け傾き落ちていく悪夢

など現実ではありえないとわかりながらも「うなされる悪夢」でした。このタイトルにもあるように悪夢障害だったんです。悪いことしか想像できない、心配と論理的破綻した妄想のサンドイッチでボロボロになりかけていたその時です。

ふっと一瞬なにかが吹っ切れた瞬間があったんです。

あれっ?なんかずっと死にたいだの生きたくないだのそんなことばっかり考えてるけど、

でも結局あと何年も生きなきゃいけないじゃん

何度も終わりにしたいと思ったけどまだなんだかんだで生きてんじゃん

だったら

どうせ死ねない、生きなきゃならないなら
もう終わった過去だとか先の心配だとかばっか考えてるんじゃなくて
ここから先の人生は幸せで楽しくて生きててよかったと思える人生にしてやる!

そしたら、何があっても幸せになれるし楽しいんじゃないか

と思って

ふっとすべてのことがどうでも良くなりました。

どっちでもいいじゃん。

なるようにしかならないし、なるようになる

だからこうしなきゃいけないとかこうであるべきという思い込みはもうやめて「ここから先は楽しくなるように生きるぞー」って

その日から私のトラウマと悪夢障害は一気にとはいきませんでしたが目に見えるほどに精神的に余裕がでてきました。高校生時代からずっと奪われてきた「心のそこから笑える笑顔」を取り戻すことができたんです。

またその時もうひとつ

これがなければ今の私が100%いないと断言できるもの

それが子どものSOSソングライターの悠々ホルンさんとの出会いでした。たまたま「死にたい、助けて」という私が昔に書いた記事がどのように表示されるか検索で調べてたときに「ホルンさんのYouTube」がそこにあって、
それを見た時どれだけ泣いたことか、何度繰り返し聞いて涙が溢れて止まらなかったことかいまでも鮮明に覚えているし、今聞いても涙がでてしまうこともあるくらいホルンさんには救われました。

ホルンさんありがとう。またイベントなどでお会いできるのを楽しみにしています。

ちなみに、私が救われた悠々ホルンさんの曲は「生きてていいんだよ」

※youtubeより。

と、「INNER」です。

※youtubeより。

私が以前書いた悠々ホルンさんの記事はこちら↓
子どものSOSソングライター悠々ホルンさんに、どん底だった私が救われた7のこと

そこから月日が流れ今に至るわけですが、

人生は必ずしも順調ではありません。
そんなときもありました。

おそらくあなたもどん底のどん底で「まだ下があるのかな?もう無理だよ」って絶望してしまうときもあるでしょう。

・いじめ
・DV
・家庭内の不和

であったり、

・お金がない
・就職先もない
・相続問題のいざこざ

「生きてく自信もない」って苦しくて誰かに聞いて欲しくてでも言えなくて、心に溜まってそのモヤモヤでさらに自分を責めてしまうこともあるでしょう。

でも、どんなに苦しくてもどんなに周りの誰もがあなたを否定してきたとしても
最後の最後に希望を捨てないで欲しいのは、私もそういう時があって「どうにかこうにか今日この日まで生きてこれてる」この事実と、

よっしゃーっ、この世界があってよかったぁと思えるくらい、私はあの日をきっかけにトラウマ、借金地獄の悪夢障害を克服できました。

というタイトルにあるように、「地獄だと思ってたこの世界」がじつは「天国だった」と思えるようになったこれまでの長い年月があるからこそ、あなたも私は時間さえかければ「今いる不幸や苦しみの無限ループ」から抜け出せると確信してるんです。

なかには、ここまでの文章を読んで、

「いやそれはあんただから言えるんでしょ!
こっちの気も知らないで何様のつもりなんだよ、偉そうなこと言ってんじゃねーよ」

と思われる方もいることだって私もかつてそうだったからよくわかってるつもりです。

苦しい時は全てがネガティブに見えます。

悲しい時は「誰も理解してくれてない」ように思えます。
人生を終わりにしたいと思うときは、体がここにあってここにあらず連日続く悪夢の無限ループに陥って呼吸が苦しくて涙が止まらず、味覚がなくて痛みを感じられず自傷行為に走ったりハサミで腕を傷つけて「なにやってんの!ダメじゃない!」って止められて、
でもそうでもしないと自分を保てなくて、ねれなくて、外に出ても動悸が止まらず神経過敏で、空をあおいでは「神様ごめんなさい、もう許してください」って言ってはみるものの何も変わらない虚しさに家に帰ってきて泣き出して、でも迷惑だからって我慢していっぱいいっぱいになってある日、家を飛び出して具合が悪くなって精神病院に運ばれて、安定剤を注射されて「あーーーー」って叫んででもどこか頭が冷静で、どうせ誰もわかってくれない、もう人生が終わりだ

って考えてしまうこともあるでしょう。

でも、そんな私も当時に比べたら多少なりともまともな人間になれたしそうであろうと思って、日々自分なりにできることをできるところまで頑張ってるので、
あなたも頑張らなくていいよ、でも頑張れるようになって「この世界があって良かった!生きてて良かった!」そう感じられるようになってもらえたら一番それが私の嬉しいところで、(あぁ幸せだなぁ、神様ありがとう!これからももっと人様のためにこの人生を使ってくからね)って生きる希望になるんです。

だから、困った時苦しい時はお互い様。

ここまでの長文を読んで少しでもあなたの胸に届くものがあったら、これほどまでに嬉しいことはないし、いついかなる時でもあなた次第で人生を変えられる、そのきっかけになれたならどんな苦労も吹っ飛ぶ思いです。

あなたがこの世界に生まれてきてくれてありがとう。

生きてくれるただそれだけで「神様この世界で同じ時を一緒に過ごさせていただきありがとうございます。」ですし、いつの日か直接あなたとお会いできる日を楽しみにしています。

あと、ここまで読んで疲れたと思います。
また機会があればこちらの記事も読んでみてくださいね。
終わった事を後悔しない方法

あなたの人生が悪夢から良い夢に変わることを願って・・・

では、今回はこれで
また次回もどうぞお楽しみに。

最後までお読みいただきありがとうございました。

追伸です:
今回ここに書いた内容はあくまでも私個人の過去や意見を書いたものになります。信じなくていいし、信じたいものを信じるのが一番です。何が正しいでも間違ってるでもありませんので、苦しいとき、心配や不安なときはお医者さんにもご相談をくださいね。

そして、全部一人で抱え込まないでください。十分頑張ってきたんだから、溜め込みすぎたものは全部吐き出してスッキリさせてゼロになってやり直していきましょう。

ニャタリーニャタリー

これからも一緒に生きていこうね

にゃたりんこにゃたりんこ

あなたがいてくれて、
ありがとうございます

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(参考外部リンク)
「いま生きてる」のはなんのため?それは答え探しのため。そのプロセスが生きること。/にゃたりん名言ポエム